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私と食肉の科学第9回 山之上 稔(元神戸大学農学研究科)

 

私と食肉科学

 

元神戸大学農学研究科

山之上 稔


九州大学農学部の4年生のときから神戸大学農学研究科を退職するまでの44年間に関わった食肉科学と自分史なるものの記事が、食肉科学や食肉業界に多大な貢献と実績のある諸先生のご寄稿の一つに連なって良いのかという気持ちを拭えないが、幾分かは後輩諸氏の興味に資することになればとの思いで食肉科学との関わりを記したい。

食肉科学に踏み出した最初のきっかけは、当時九州大学農学部の畜産製造学講座(講座は今でいう分野または研究室)を主幹されていた深澤先生(故九州大学名誉教授)に初めてお目にかかったときであろう。学部4年生からの卒業論文研究を行う研究室志望の参考にするため、毎年畜産学科が三畏閣(九州大学の交流・集会施設)で行っていた諸先生(教官、職員)と大学院生・学生間の交流会の場で、1978年の秋になる。自分達3年生は4年生からの所属希望の講座を知るために上記交流会に参加するのが恒例で、その交流会は同じ学科の所属とはいえ研究室に縁遠かった3年生には畜産学科の各研究室の先生や先輩方と話す良い機会であった。深澤先生とやり取りしたことの多くを忘れているが「先生は何をご研究されていますか」とお聞きしたとき、「肉をやっています」と実に簡潔明瞭なご返事をいただいた。このときの深澤先生との会話の雰囲気や出身地が肉と少し関わりのある地域だったことから食肉研究に興味を持ち、畜産製造学講座を希望した。幸い入室を認められて、以来食肉科学と関わることになった。

卒業研究は当時講座の六車先生(宮崎大学名誉教授)の指導の下で、鶏の成長に関わる飼料中のメチオニン欠乏の影響を調べた。幼雛から若鶏まで育てる間に給餌した飼料中のメチオニン含量を変えることで鶏の体重が大きく変動し左右されることにより、動物にとっての食物と含まれる成分の重要性に気付かされた。引き続き同講座で大学院の修士課程に進学したときのテーマは、深澤先生から与えられたサルコメアが収縮するときのZ線構造の変化を位相差顕微鏡下で8ミリの高速度カメラを用いて撮影し、分析することであった。撮影したフィルムの現像から写真焼き付けまでの工程を一から勉強したうえで、調製した筋原線維を位相差顕微鏡下でMg2+-ATPにより収縮する様子をカメラで撮影した。ATP溶液添加による顕微鏡のフォーカスのぶれが起きないような工夫をするとか、8ミリフィルムの現像タンクを自作するなどして取り組んだものである。

修士修了前に深澤先生から北海道大学農学研究科の安井先生(故北海道大学名誉教授)の畜産食品製造学講座に博士進学を勧められ、深く考えもせず博士課程の入学試験受験のために初めて北海道の地を踏んだ。幸い合格したが、後日安井先生から入学試験の独語の成績について指摘され、苦手な言語だったこともあり冷や汗をかいた思い出がある。研究室では当時助教授の高橋先生(故北海道大学名誉教授)の指導のもとに熟成による食肉の軟化機構の博士論文のテーマを与えられ、アクチンとミオシン間の硬直結合を解除するパラトロポミオシンの研究に従事した。当時助手であった服部先生(故北海道大学名誉教授)に札幌医科大学の馬詰先生の研究室に連れて行っていただき、筋線維のサルコメア長を測定するレーザー光の回折格子を応用する測定装置を見せていただいた。北大の研究室にレーザー光と張力を測定するトランスデューサーを組み合わせた装置を組み立てて、パラトロポミオシンの添加で硬直した筋線維の張力が減少しサルコメア長が伸びることを実測することを始めた。なかなか上手い結果が出ない中で周囲の振動の少ない真夜中に実験を行ったことが思い出される。また兎や鶏の筋肉を材料に当時農学部学舎の地下にあった冷蔵庫の中でアクチンやミオシンなどの筋原線維タンパク質を単離精製し実験に用いることに明け暮れた。これらの研究を続けることで食肉を構成する筋原線維の主要なタンパク質の調製方法や分析方法を修得することができ、その後の研究の大きな基礎固めができた。

充実した札幌での4年間の院生生活を過ごし、また無事に学位を取得した後の1985年4月から相模原市の麻布大学獣医学部に助手として採用され、永田先生(故麻布大学名誉教授)が教授として、また坂田先生(麻布大学名誉教授)が講師としてお二方で運営されている畜産物原料学講座のスタッフの一人として加えていただいた。九州大学の畜産製造学講座時代に当時の永田先生からは助教授の立場から指導していただき、また坂田先生は博士課程に所属されていて大学院の先輩に当たり、今思うと講座のスタッフが同学の出身という気安さがあり大学院生の気分を多分に残していたと思う。一方で研究室に所属する学生に対しては教員として接するという中で僅か2年間の麻布大学での教員生活であったが、お二方に教育や研究室運営、また教員間の交流と公私共にいろいろと引きまわしていただいた。

1987年4月から神戸大学農学部畜産製造学講座の助手に移動し、それから定年退職までの36年間を神戸大学で勤めた。移動の当初、同講座には乳を専門とされる西川先生と肉を専門とされる岡山先生(神戸大学名誉教授)に加えて皮革を扱っていた技官の中川さんの3人のスタッフが居られて、それぞれの研究が混在していた。講座の助手として乳と肉の両方の研究に携わったが、北海道大学時代以来の研究テーマである食肉の熟成に関しては継続することができた。その後大学が神戸ビーフと呼ばれる世界的ブランド肉の地元神戸市に立地する関係から、霜降り牛肉の筋内脂肪、特に脂肪の構成脂肪酸と牛肉の美味しさの研究に着手した。この間、1997年1月15日の早朝に起きた阪神淡路大震災による研究室の実験試料や実験機器への被害とその後の回復作業や1993年と2008年の学部改組、2006年5月から開始された学舎改修工事に伴う研究室の引っ越し作業、2007年の大学院重点化によるカリキュラム変更等々、通常の教育研究活動以外の対応に多くの時間を割いた。神戸大学に来るまでの各大学での研究あるいは教育の期間は長くても4年間で、それぞれの環境での短い年月は研究に注力できた期間であった。しかし神戸大学では勤務期間が長かったこともあり、その間にいろいろな出来事が起こり落ち着いて教育研究を進めることが困難な時期があった。大学もまた社会の状況に影響を受けることから、近年の少子化に伴う入学希望者数の減少と学生定員数の充足や大学予算の削減による研究費の獲得に苦労されていると周囲の複数の先生から聞き及んでいる。大学を取り巻く環境が安定かつ平穏であり集中して教育研究を続けられることの重要性を考えさせられている。