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私と食肉の科学第4回 鈴木敦士(新潟大学名誉教授)

 

私の食肉研究小史

新潟大学名誉教授
鈴木敦士


1:学位取得迄
 私が食肉に関する研究をはじめたのは、東京大学農学部農芸化学科食糧化学教室に卒論生として配属されたのがきっかけです。大学院修士課程に進学後、当時助教授であった藤巻先生の指導により「無タンパク飼料並びにスレオニン欠乏飼料で飼育したシロネズミの筋肉および肝臓タンパク質の異同」をイオン交換セルロースによって明らかにするという栄養学的なテーマでした。桜井教授のアイデアを藤巻先生が米国留学からお持ち帰りになったイオン交換セルロースにより解明しようというものでした。このテーマは一年次で終了し、二年次になると「食肉熟成中に生じる呈味性ペプチドの単離・同定」に変わりました。従って私の修士論文は「スレオニン欠乏」という栄養学的なものと「ペプチドの単離・同定」という食品化学的なものとの二本立てになっています。
 博士課程進学後は教授に昇任された藤巻教授のもと、「食肉熟成中に生じる呈味性ペプチドの単離・同定」というテーマで修士論文以後の研究を進めました。しかしながら、「熟成中に生じるペプチドが一定の分子として留まっている保証はない。それを追っても意味がない」という外野からの批判に悩まされました。当時は「食肉熟成中にタンパク質分解が生じるかどうか?」という事も確立されていなかったので、ペプチドを単離する事よりも「食肉熟成中のproteolysisの有無」という大枠から研究を進めました。醤油熟成中のペプチドの分析に使われたDowexによる分子篩により、熟成中に非タンパク態窒素化合物が増加し、それが低分子に変わる事を明らかにしました。次に、タンパク質分解をもたらすものとして、筋肉内在性タンパク質分解酵素カテプシンDの単離精製に成功しました。カテプシンDの酵素化学的特性や筋肉構成タンパク質との相互作用を検討した結果「筋肉タンパク質のProteolysisに関する研究」という博士論文を完成する事が出来ました。
 この論文をまとめる時期にいわゆる「大学紛争」が最終盤をむかえ、「安田講堂攻防戦」に気をもみながら博士論文提出をむかえたのは、今から思い出しても感慨深いものがあります。
 1969年1月頃、博士課程修了後の進路を考えなければならなくなった時に、米国アイオワ州立大学食品工学科に文科省の在外研究員として在籍していた荒川信彦先生(研究室の先輩、お茶の水女子大学助教授)から米国で仕事をする気はないかというお手紙をいただきました。大学紛争が安田講堂攻防戦で終わりをとげ、博士の学位の取得が確定し、荒川先生のお誘いを受けることとしました。
 これから2年2か月にわたる米国での生活が始まりました。

2:米国における研究
1) α-アクチニンに関する研究
 東京大学の江橋節郎先生により筋肉からα-アクチニンが発見され、アクチンとミオシンの混合液にα-アクチニンを加えると超沈殿が促進されることから、α-アクチニンは筋収縮を調節するタンパク質ではないかと考えられるようになり、多くの筋肉研究者がこのタンパク質研究に参入しました。
 私が赴任した頃、Dr. Gollのもとでα-アクチニンの単離・精製が試みられていました。筋肉からの抽出液を硫安分画後、DEAE-セルロースカラムにとおすと、ほぼ均一な標品を得ることができました。
 分子篩により、α-アクチニンは従来考えられていたような球状のタンパク質ではなく繊維状のタンパク質であること、分子量10万の二つのサブユニットから成ること(発表されたばかりのWeber & OsbornによるJBCの論文を参考に実施)、超沈殿を促進するけれども、必ずしもこれが筋収縮の調節には結びつかないことなどを明らかにしました。
2) Z線崩壊要因
 食肉の熟成中に、Z線の崩壊が食肉の軟化に繋がるという考えが提出され、その原因物質として、筋肉内在性のタンパク質分解酵素に焦点が当てられました。
  (1)カテプシンD
 私の博士論文「筋肉タンパク質のProteolysisに関する研究」の中で、筋肉組織からカテプシンDの単離・精製と食肉熟成との関わりに関する部分が多くのウエイトを占めていました。この内容が米国から声がかかった多くの理由です。
 カテプシンDを調製し、同時に調製してあった筋原線維に作用させてもZ線の崩壊を認めることは出来ませんでした。
 (2)カルパイン
 カルパインはZ線の構成成分であるα-アクチニンの研究を進めながら、筋原線維のZ線がカルシウムイオン存在下で特異的に破壊される原因をさぐっているときにみつかったものです。当時、カルシウムイオンが直接Z線を壊すのか、何かの物質の仲立ちによってZ線がこわれるのか、明らかになっていませんでした。筋肉からEDTAを含む溶液で抽出し、等電沈殿、硫安分画によって得られた粗抽出液と筋原線維をincubationしたときに、カルシウムイオンを含む溶液中でのみ、Z線が消失しました。この事実を見つけたときの興奮はいまでも鮮明に覚えています。
 この酵素は、生体内のpH条件下、直接筋原線維タンパク質を分解することの出来る酵素として最初に見いだされたものです。このことは食肉研究者のみならず、医学、生化学や生理学者の関心を呼び、現在、カルシウムイオンとカルパインを生体内情報伝達の重要なシステムと捉えるようになってきています。

3:新潟大学における研究
 米国留学終了後の新しい職場について、恩師藤巻正生先生にお願いしていたところ、留学2年目の後半に入って新潟大学農学部畜産学科の助手ポストに応募したらどうかというお手紙をいただきました。新潟大学のことは全く知らず、どうしたらよいのか判断に迷っていたところ、新潟大学農学部畜産学科畜産製造学教室の野並慶宣教授(卵の研究者)からもお手紙を頂き、新潟大学への赴任を決心しました。
 1971年7月にアメリカから帰国後、農林水産省において野並教授に初めてお目にかかり、8月上旬に新潟大学農学部キャンパス(新潟市小金町)を訪れ、着任のための手続きをすませました。キャンパスには木造二階建ての校舎が数棟並び、大学と言うよりも昔の小学校や中学校という風情でした。東京に戻る列車の中で新潟大学に赴任することを後悔する気持ちが高まったけれど、「一度赴任を決めた以上、後には引けない」という気持ちで覚悟を決めました。それから35年6ヶ月を新潟大学で過ごしたことになります。
 野並教授とは年齢が20才以上離れていたためか、折り合いは良く、教授の定年まで良好な関係を保つことが出来たのは幸せであったと思っています。赴任後1年も経たないうちに、キャンパスは新潟市東部から市西部の五十嵐地区に統合移転され、1985年に野並教授の後任教授となり、2007年3月定年退職後、東京(厳密には神奈川県川崎市)に戻ってきました。
 1)筋肉から食肉への変換機構の解明
 私の卒論時代を含めると40年をこえる研究生活は「筋肉から食肉への変換機構の解明」および「超高圧を利用した食品加工」という主に2つのテーマから成り立っています。
 赴任当初の教室には、めぼしい機器として遠心分離機(Max 3,000 rpm)、大型の凍結乾燥機(卵液乾燥用)およびベックマンの分光光度計がありました。冷却遠心機や超遠心分離機、位相差顕微鏡などは他所の研究室にある物を借りまくりました(小笠原教授や伊賀上教授にお世話になりました:いずれも故人)。また、学科付技官のご主人が医学部電顕室の技官であったため、物取りを第一とする農芸化学的研究法に組織化学を導入することが出来ました。皆様のご協力により、筋肉から食肉への変換は、カテプシンおよびカルパインという2つの筋肉内在性タンパク質分解酵素系によって説明可能であるという結論に達することが出来ました。
 2)高圧処理と食肉
 1989年度日本農芸化学会新潟大会において「食品の加工・貯蔵への高圧利用」というシンポジウムが開かれたのを契機に小笠原長宏教授を会長に「新潟県高圧応用食品研究会」がつくられ、私の研究室が事務局を務めました。我が国において圧力を食品加工に利用する研究は 林 力丸京都大学教授の提唱により1980年代後半から始まり、20年ほどの歴史しかありませんが、1990年には超高圧加工ジャムが世界最初の圧力加工食品として我が国の市場に登場しました。その後、個包装米飯(電子レンジであたためるご飯)や餅、ハム・ベーコンなどが市場に出ています。これには新潟大学や新潟県の食品企業が大きく貢献しています。目を国外に転じてもジュース、アボカドペースト、牡蛎、ハムなどが圧力加工食品の主要なものとなっています。どちらかといえば、日本が高圧加工食品分野で世界をリードしていると言えます。
 高圧処理による食肉の軟化・熟成促進機構の解明から始まり、高圧処理による筋肉タンパク質のゲル化機構(後に九州大学に転出した池内義秀先生が主導)、高圧処理による結合組織の構造変化とケーシングの軟化(西海理之先生が主導)、食肉アレルギーの低減化、等が主な研究課題でありました。
 2007年度科学技術振興機構(JST)「地域結集型研究開発プログラム」に新潟県の「食の高付加価値化に資する基盤技術の開発」が採択され(2012年度までの5年にわたる産・学・官連携プロジェクト)、基盤技術として「高圧処理技術」に焦点をしぼり、基礎研究の蓄積と同時に高圧加工食品を世の中に普及させることを目指しました。私がこのプロジェクトの代表研究者に指名されたために、定年退職後も新潟に定期的に赴き研究討議に加わりました。西海先生にも副代表としてご尽力をいただきました。近畿大学の赤坂一之先生には高圧処理によるタンパク質構造変化のNMRによる解析、新潟県立吉田病院の松野正知先生にはアレルギー患者の血清入手等々、多くの研究者にご尽力いただきました。
 このプログラム終了後、2015年4月に「High Pressure Support 株式会社」が設立され高圧装置の普及に取り組んでいます。いくつかの高圧加工食品は市場で手に入りますので、お目にとまったら是非食べてみてください。

4:おわりに
 卒論から始まって、場所を変えながらの40年近くの食肉を中心にした研究生活を振り返って見ました。新潟大学赴任前に、藤巻先生がおっしゃっていた「研究を進める上で、研究機器の有無の問題よりも、人間関係の方がはるかに重要である」と言う言葉を若い研究者の皆様に贈りたいと思います。

(2018年1月記)