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私と食肉の科学第2回 沖谷明紘(日本獣医生命科学大学名誉教授)

 

Okitani

食肉のおいしさに魅せられた54年間

日本獣医生命科学大学名誉教授
沖谷明紘


私は現在75歳です。21歳のとき東京大学農学部農芸化学科食糧化学研究室に卒業論文生として入室して以来、54年間食肉のおいしさを対象とした研究にたずさわってきました。この間の主要研究テーマは種々変遷しましたが、そのいきさつと結果の概要を示したうえで、今後の食肉の科学と産業界への期待について述べさせていただきます。

卒論生と大学院修士課程でのテーマは、死後の家兎筋肉から抽出したアクトミオシンのタンパク質化学的精査です。これは恩師である当時助教授の藤巻正先生(故・東京大学・お茶の水女子大学教授)と助手の荒川信彦先生(故・お茶の水女子大学教授)の主テーマであり、私もその研究に参加させていただきました。その結果、死後貯蔵中にアクチンとミオシンの結合が減少していくとの推定に至り、それが死後硬直解除(解硬)の要因である可能性を示しました。この成果で荒川先生は博士号を取得されお茶の水女子大学に助教授として転出されました。

博士課程の3年間は、アクトミオシンの試験管中での変性機構の解明をテーマにしました。死後筋でのアクトミオシンの変化と結びつく機構の有無を知るために私自身が考えたテーマです。その結果、低温(4℃)と低pH(pH5.7)の環境下でアクチンとミオシンの結合の減少が起るが、中温(25℃)と低pHの環境下では起らないことがわかりました。したがって、温度が高いほど速く進行する解硬の原因に酸によるアクトミオシンの変性は関与していないと結論しました。これらの結果が私の博士論文になりました。この間、筋肉タンパク質化学の先達であられた北海道大学の安井勉教授、高橋興威助教授(のちに教授)に大いに励まされました。感謝にたえません。

博士課程修了後は同研究室の助手として、骨格筋のプロテアーゼの検索と精製、性質の解明をテーマとした研究を展開しました。エンドペプチダーゼ類の解硬因子としての可能性の有無とエクソペプチダーゼ類の遊離アミノ酸増加現象への寄与度の解明を目的として、私自身が考えたテーマです。この研究は日本獣医生命科学大学(日獣大)へ助教授として転出するまでの16年間も続けました。この転出には日獣大の肉学教室の森田重廣教授に大変お世話になりました。感謝申し上げます。

多くの大学院生と学生の参加によって、主要エクソペプチダーゼであるアミノペプチダーゼCとアミノペプチダーゼHの発見、主要エンドペプチダーゼであるカテプシンLの発見などの成果を得ました。リソソーム酵素であるカテプシンB、D、LおよびHの各種筋原線維タンパク質への作用様式を明らかにし、生体内タンパク質分解機構の解明にいささかの貢献をしました(この間の成果の大部分は生化学の国際誌に掲載されました)が、それらの酵素は解硬の主因子である可能性が低いことがわかりました。

この間には上司の加藤博通教授から、糖とタンパク質間の褐変反応、脂肪酸化物とタンパク質間反応に関するテーマをいただき、食品化学の重要課題についての知識を強化することができました。感謝いたします。

この時に得られた多くの結果をシンポジウムや学術書を通して外部に積極的に発信しました。

日獣大に移ってしばらくすると、外部に発信した成果を見て下さっていた当時の明治乳業中央研究所の根岸晴夫氏(現・日本食肉研究会会長)とその上司の吉川純夫氏から、輸入自由化になった外国産牛肉が国産牛肉よりもおいしくない原因を解明してほしいとの強い要請がありました。研究費は明治乳業が運営する一般財団法人糧食研究会が支援するとのことでした。この要請をお受けし、助手の松石昌典氏(現・日獣大教授)と研究を開始しました。

牛肉のおいしさの構成因子は味、香り、食感です。初めに食感について調べましたが、冷蔵輸入された牛肉は船中で充分にウェットエイジング(真空熟成)されており、国産牛肉と同等の柔らかさを有することがわかりました。味についても差異はありませんでした。香りについては、対照で用いた国産牛肉(ホルスタイン去勢肥育雄)のトリミングくずをあとで食べようと冷蔵で放置しておいた時に、甘いミルク臭に似た芳香(生牛肉熟成香)を発していること、それは昔の肉屋さんの店内の匂いと同じであることに気づきました。これは鼻先香です。

この肉を加熱すると芳香は揮散しましたが、加熱肉をよく噛んでいるとコクのある甘い香りを感じます。これが煮牛肉熟成香(黒毛和牛では和牛香)で口中香に属します。本香はある程度の脂肪交雑のある牛肉(外国種のバラもこれに相当する)をドライエイジング(含気熟成)してから80℃程度に加熱すると発生しますが、輸入牛肉はウェットエイジングされているため本香を発生しません。このことが輸入牛肉をすき焼きやしゃぶしゃぶなどの煮る料理に使ってもおいしくない主原因であると結論できました。

1975年の8月から15ヶ月の米国留学中にアンガス牛のサシの入った最上級肉ですき焼きに3回挑戦しましたが、1度もすき焼きらしくならなかった理由がようやくわかって、うれしさもひとしおであります(なおこの留学は解硬因子を追求していたアイオワ州立大学のGoll教授の厚意によるものです。ここではカルパスタチンの発見という幸運にめぐまれました)。和牛香を構成する主要成分も明らかにすることができました。本研究では牛肉の熟成に関わるプロの人達に大いに助けられました。その方々と根岸、吉川の両氏と糧食研究会に謝意を表します。

上記の研究の進行中に、お茶の水女子大学調理学教室の島田淳子教授の推せんで東京ガス(株)の研究所から研究費を支援するから肉の加熱調理に関わる研究を展開してほしいとの要請を受けました。そこで当時シェフの間で話題になっていた真空調理(60-65℃の低温長時間加熱調理)を用いると、なぜ肉は通常加熱(80℃)したものより柔かいのか、その原因解明にとりかかりました。

その結果、低温で加熱するとアクトミオシンがアクチンとミオシンに不可逆的に解離するが、高温加熱ではそれはほとんど起らないことが原因であることがわかりました。この時の解離に5′-イノシン酸(IMP)が一部関与していることもわかりました。IMPはアクトミオシンを可逆的にアクチンとミオシンに解離させることも明らかになり、IMPが解硬因子の有力候補に浮かび上がってきました。博士課程のときから追い求めてきた解硬因子に、予期せぬ研究から行きつくことができました。島田淳子先生と東京ガス(株)に謝意を表します。

以上に述べたように研究テーマはすでに設定されていたもの、みずから設定したもの、外部からの要望で設定したものがあります。その中でも外部からの要望で展開したテーマでは全く予期しない大きな成果が得られました。このことは食肉科学の研究においては、研究者がその成果を食肉業界や一般社会に広く知らせ、新たな研究の要請を呼び込むことの重要性を示していると考えます。産業界には研究課題の提起を期待します。

以上の研究で用いた手法の多くは化学であります。多くの現象は同種分子間や異種分子間の結合もしくは解離反応によってもたらされます。この反応を知るには化学が必須であります。これからの食肉科学においても有機化学、分析化学、食品化学、生化学を基盤にした研究が展開されることを期待します。

(2016年7月記)