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私と食肉の科学第5回 服部昭仁(北海道大学名誉教授)

食肉と共に歩んだ50年

北海道大学名誉教授
服部昭仁


 私が入学した1965年当時の北海道大学の教養部は全国的に注目される全学支援制度という特異な制度だった。入学試験は、理類、文類、医学部、歯学部、水産学部毎に学生募集を行い、大学入学直後の一般教育は1年半に亘って各学部から派遣された教員による一般教育科目を受講し、その間の成績上位者から進学する学部・学科を選択するというもので、学生にとっては全学支援制度の意味するところとそのメリットが何か不明で、一部では全学無責任制度であるとの陰口も聞かれた。全学無責任体制の下で本人の意思に関係なく無責任に教養部に派遣された学部所属の講師による一般教育科目の講義に魅力を感じない学生は少なくなかった。そのような学生の一人として1年半を教養部で過ごした私は、特に目的意識も持たず農学部畜産学科に進学した。

 畜産学科で最初に受講した学部教育の講義が当時、助教授だった安井勉先生の畜産化学総論だった。内容は、畜産物を生化学的に解説するものであったが、新進気鋭の安井先生の講義は、それまでの教養部での覇気のない一般教養科目に比べて講師の熱意を感じ、内容的にも家畜生産の成果物として得られた畜産物の魅力を生化学的に解説するもので大きな魅力を感じた。安井先生の講義に魅せられた私は、4年目からの卒業論文研究を進める研究室分属についても先生の研究室、即ち食肉科学に関する研究室に所属することを決めた。この段階では、未だ大学院進学は全く考えていなかったが、それから50年間以上に亘って食肉科学に関わることになるきっかけであった。

 研究室入室後、卒業論文のテーマを決めることは、研究室に所属する教員の誰の指導を受けるかということと同意語である。当時、食肉科学に関する研究室は、安井勉教授、深沢利行助教授、高橋興威助手、森田潤一郎助手によって構成されていた。私は、食肉製品の結着性や保水性に関する研究を希望したが、安井先生が取り組んでいた「ミオシンの加熱ゲル形成機構に関する研究」は、すでに安井先生と酪農学園大学の鮫島先生が中心になって研究成果が蓄積されていたことに加えて、北大だけでなく全国から大学院に進学してきた安井研究室の大学院生によって研究が進められていたこと、安井先生が体調を崩し入院中であったこと、深沢先生は短期の米国留学でお留守だったことから、高橋先生の指導を受けることになった。

 卒業論文研究でスタートしてから大学を退職するまでの長期間に亘ってとり組むことになった研究テーマは、「熟成に伴う食肉の軟化機構」であったが、卒業論文研究から始まり、大学院博士課程修了までの具体的なテーマは「筋原線維の小片化」に関する研究であった。当時、深沢先生は、鶏肉を冷凍保存しておくと筋原線維のZ線部分が断裂して小片になることを発見したが、高橋先生はこの筋原線維の小片化は食肉の熟成中にも認められ、熟成に伴う食肉の軟化の要因の一つであることを明らかにした。私の研究課題は、この現象に着目した「筋原線維の小片化」となった。それまで、死後硬直で硬くなった筋肉が軟らかくなる現象を構造的な観点から明らかにした研究は少なく、僅かに死後硬直時に短縮した筋肉がその後の保存中に復元することが知られていた程度である。卒業論文研究では、筋原線維の小片化が食肉の軟化の要因の一つであることを確認することを目的とした。実験方法は、極めて単純で筋肉の小片や挽肉を生理食塩水でホモジナイズし、懸濁液を位相差顕微鏡で観察し、全筋原線維数に対する小片となった筋原線維の数の割合を小片化の程度として評価するものである。食肉産業では、家畜のと畜後、枝肉で貯蔵した食肉の方が、骨から外して貯蔵する食肉より軟らかいことが古くから知られていた。その原因は、枝肉で貯蔵することによって筋肉の両端が骨格に固定されるため、筋肉に作用する張力が筋肉自体の脆弱化を惹起すると考えられていたが、科学的には実証されていなかった。そこで、ウサギの大腰筋を使って筋線維束を調製し、これを竹ヒゴに両端を固定したもの、フリーにしたものを作り、生理食塩水中で保存した際の小変化の程度を測定した。小片化の程度は、両端を固定したもので高く、フリーにしたものでは低かった。すなわち、筋原線維の小片化の程度は筋線維束に作用する張力に依存して増大した。このことは、食肉が熟成に伴って軟化する要因の一つは筋原線維の小片化であり、その程度は食肉を保存する際に働く張力に依存することを示唆する。卒論研究の結果は、大学院進学後に日本生化学会の英文誌であるJ.Biochemistryに投稿し、掲載が認められた。私の研究が公に認められた最初の成果であり、その後の私自身の進路に大きな影響を与えたことを記憶している。

 その後、大学院生時代の研究は、食肉の熟成に伴って惹起される筋原線維の小片化が何故生じるのかを構造及び構成成分の変化から明らかにしようとするものであった。その結果、小片化は食肉の熟成に伴って増加する筋線維中のカルシウムイオンによって惹起されること、カルシウムイオンは筋原線維の小片化が生じるZ線部分に作用すること、Z線を構成する成分には骨格構造と無定形物質が存在するがカルシウムイオンは骨格構造を形成するα-アクチニンには作用せずに無定形物質を溶解することによって小片化を惹起することを明らかにした。

 この結果は、カルシウムイオンが食肉の熟成に伴う筋原線維の構造の脆弱化を引き起こす要因であることを初めて明らかにした研究成果であり、その後、コネクチンやネブリンの脆弱化に対するカルシウムイオンの作用も明らかになった。高橋先生は、これらの結果に基づき食肉の熟成に伴う筋原線維の脆弱化に関する「カルシウム説」を提案し、国際的にも注目された。

 高橋先生には、卒業論文研究指導以来、研究の課題設定から研究計画、研究結果の評価、評価に基づき研究成果の発表方法(学会発表と論文投稿)等々、研究に関するあらゆる事項についてイロハからご指導いただいた。先生が退職するまで長期間に亘ってお世話になった御恩は、何事にも代えがたい私の財産であり、私の今日があるのは、高橋先生のおかげと言って過言でない。残念なことに、高橋先生が北大を定年退職される少し前から、研究成果に対する評価について私は高橋先生の主張に全面的に同意できない点が生じてきた。

 高橋先生は、研究成果に基づき食肉の熟成に伴う筋原線維の脆弱化は、全てカルシウムイオンそのものによるものであり、食肉中の内在性酵素の作用は関与しない、とカルシウムイオン単独作用説を主張された。一方、私は、限られた実験条件ではカルシウムイオン単独で筋原線維の小片化が生じうるが、熟成中の食肉のような非生理的条件下にある筋肉では小胞体の機能の喪失等によってカルシウムイオンの増加や内在性の酵素の分散等々様々な要因によって筋原線維の状態が変化すると考えた。先生は、私の考えを背信と考えて強く批判されたが、私が長い間先生の指導を受けた成果としての私の到達点であり、私の科学者としての成長の結果であると認識している。

 「熟成に伴う食肉の軟化機構に関する研究」については、徳島大学医学部の組織学研究室で考案した細胞消化法を食肉の構造観察に導入して熟成に伴う結合組織の構造変化を発見したことも大きな成果である。動物の組織を化学固定した後、強いアルカリで処理すると細胞成分は分解し、処理後蒸留水で組織を洗浄すると結合組織を形成するコラーゲンのみがアルカリ処理前の構造を維持した形で残存する。これを走査電子顕微鏡で観察するとあらゆる組織の結合組織構造を観察することが可能である。現在は、細胞消化法として組織学の領域では広く活用されている手法である。私は、この方法を利用してウサギの筋肉の死後の貯蔵に伴う結合組織の構造変化を観察した。昔から当時まで動物の死後、結合組織の構造は変化せず、死後硬直の解除に結合組織は関与しないと考えられていたが、細胞消化法を用いた研究結果は結合組織の構造が死後の貯蔵に伴って大きく変化することを示し、日本畜産学会大会で発表した。この方法を用いた研究は、その後、助手として赴任した西邑隆徳先生に引き継がれ、西邑先生は見事に本研究を発展させ、食肉の熟成に伴う結合組織の関与について多くの成果を得た。

 北大農学部の学部学生、大学院生、教員としての長期間に亘って実施した研究の主要部分はこれまで記載した「熟成に伴う食肉の軟化機構に関する研究」についてだったが、その他に取り組んできた研究課題としては「筋原線維タンパク質の水可溶化に関する研究」、「死後硬直を生じない骨格筋の存在に関する研究」、「鶏骨格筋の発生に伴う巨大タンパク質の動向に関する研究」、「骨格筋の発生にコネクチン及びネブリンのアイソフォームの発現に関する研究」等を挙げることができる。夫々、どのような目的意識をもって取り組んだ課題であるか、どのような成果を上げることができたかについて記載するのは、字数の関係もあるのでここでは割愛し、以下に私の研究者としての成長過程に関することを紹介したい。

 学部4年目の卒業論文研究で研究や実験に興味を持つようになった私は、それまで思いもしていなかった大学院進学を決意した。大学院進学に際して、主任教授の安井先生から「最近の大学院生は、自分の研究テーマの位置づけを把握していないので、自分の研究を第三者に明確に説明できない。君はそのようなことにならないように注意して研究を進めるように」という内容のことを助言された。

 東京大学では前年に終息した大学紛争が、大学院に入学した1969年の春から北大にも飛び火し、半年間は殆ど通常の研究活動はできなかった。この期間に、農学部大学院生会の存在を知り、多くの畜産学研究科以外の研究科に所属する大学院生と知り合いになり、その交友は今なお続いている。特に、農学研究科でありながら社会科学に属する農業経済研究科に所属する大学院生の研究視点はそれまでの私の考えとは全く異なり、その後の研究生活にも大きな影響を与えた。とりわけ、社会科学の研究に取り組みながら、自然科学の研究の進め方や哲学的思考について精通していた博士課程の所属の先輩からは「科学」について基礎的なことから、個人的に学習すべき多くの書籍を紹介され、私の研究者としてのその後に大きな影響を与えた。

 大学紛争時の大学院生は、とかく日常の研究活動から逃げて学生運動に没頭する傾向があったが、「どんなに困難な状況であろうとも研究活動を全面的中止することは避けるように」との深沢先生からのアドバイスもあり、私は誰もいない研究室で細々と実験を続けた。実験の継続が可能であった理由の一つに私の使っていた実験方法がホモジナイザーと光学顕微鏡各1台という極めて単純であったこともプラスに作用した。その時以来、研究の遂行に複雑あるいは先端的で高価な実験方法は必ずしも必要ではないと言うのが私の基本的考え方である。

 大学構内に警察を導入することによって紛争が終結に至った秋から本格的に研究を推進し、上記の成果―カルシウムイオンの関与―を明らかにした私は、翌年の3月末の初めての学会発表に向けて毎日、遅くまで研究室にこもって実験に没頭した。ところが、1970年3月のある土曜日の深夜、腹痛・失神状態となり救急車で当番病院に運ばれ、腹腔内大量出血で即手術となった。その際の大量輸血が原因となってC型肝炎を発症し10カ月の入院、退院後は親元に帰り大学院も休学となった。研究成果が蓄積されつつあり、研究の面白さを実感しつつある時期だったので、自分の研究者としての将来もこれで断たれたと感じ、自らの不運さに落涙した。

 1年間の休学後、大学に戻って研究を再開したが、無理を許されない病気の性質上、その後の研究生活は常に体調と相談しながら進めざるを得ず、研究生活は質量共に格段に低下した。それでも直接指導を受けた高橋先生だけでなく、安井先生、深沢先生の励ましに支えられて上記の研究成果を収めて学位を取得した。

 C型肝炎はその後も引き続き私の体を蝕み、北大を定年退職後に1年半に亘って実施したインターフェロン治療によって私の体からC型肝炎ウイルスが駆逐されたのは2012年のことであり、実に42年間に亘ってC型肝炎ウイルスに悩まされた。

 大学院生時代は、筋肉を研究対象としていた理学部の八木康一先生の研究室の英文論文講読のセミナーに参加させていただいたことも私の研究者としての成長に大きく作用した。当時は、筋収縮の収縮機構についてわが国の研究活動が大きな成果を修めて国際的に高く評価された時代であったが、国際的に著名な江橋、殿村、大沢、丸山先生等々の研究者から大学院生まで含めて全国の筋肉研究者が集まって研究成果を発表し、意見交換をする「筋収縮に関する研究班会議」は、どんなに著名な研究者であっても先生と呼ばずに互いにさん付けで交流し自説を主張する場であり、研究の厳しさを実感することができた。私は、この時に出会った丸山工作先生とはその後も交流を続けいろいろなご助言をいただくことができた。大学院生や大学の若い研究者時代に世界のトップで活躍している研究者と交流することは、研究者としての成長に大きな糧になることと思われる。

 博士課程を修了した私は、東京慈恵会医科大学の法医学研究室に助手として赴任した。それから4年後に北海道大学農学部の助手として母校に復帰するまでの間は唯一食肉に関する研究から遠ざかった期間であった。北大に赴任してからの主要な研究課題は大学院生時代に進めていた高橋先生との共同研究「熟成に伴う食肉の軟化機構に関する研究」を解明することであったが、独立した研究者としては自らの研究課題を構築し、学生を指導することも重要な課題である。

 新たなテーマで学生と研究・教育活動をと勇んで母校に赴任した私になかなか指導する学生は廻ってこなかった。当時の食肉科学研究室では、学生の卒論のテーマ設定は教授、助教授、助手の順に自らの研究課題を提示し、学生が選択する形だった。積極的に研究活動に取り組む教授、助教授の提示する研究課題は学生にとって魅力的なものであり、実績のある研究課題を選択した学生の研究成果が上がることも当然である。それに対し、未だ研究実績の少ない若手教員からの幼稚な提案に学生が魅力を感じなかったことも理解できる。この時は、学生が所属研究室を決める前の3年生の実習実験の合間に私のやりたいと思っていることを説明し、予め学生をスカウトすることによって学生の確保に努めたことを思い出す。若い教員が自らの研究の推進に加えて教育者としての資質を鍛える面からも可能な限り指導学生を確保することが重要であるとの自分自身の経験から自分が教授に就任してからは研究室に分属した学生については若手教員が指導学生を確保できるように配慮したつもりである。

 大学の定年退職が2年後に迫った時に、全く想定しなかった農学研究院長(学部長)を務めることになり、研究室での研究活動や学生指導は不可能となり、2年間の研究室の運営は西邑助教授と若松助手に全面的にお願いすることになった。同時に自らの研究活動も研究者育成の課題もこれをもって万事休すと思っていた。

 ところが、北大を退職1年後に食肉科学技術研究所(食肉科研)から常勤理事就任の依頼があり、以後常勤理事として2年間と理事長として2期4年間の計6年間に亘って大学の研究室とは違った組織で再び研究に関わることができた。当時の食肉科研理事長新村裕氏は、「食肉加工業界の研究組織である食肉科研で求められる研究業務は、食肉関連業界が抱える課題を解決することを目的とし、その目的達成の過程で研究の担い手を育成することである」と食肉科研における研究業務を明確にしておられた。

 この見解に基づき食肉科研では、食肉製品の風味は何故塩漬によって醸成されるのか、とりわけ味の改善は何故惹起されるのかという課題に取り組んだ。その結果、塩漬による味の改善にはイノシン酸の分解産物であるヒポキサンチンの苦味が関与していることを明らかにした。この研究を遂行した職員は、食肉科研の職員である研究活動の実績は皆無に近い検査員市村さやか氏と食肉科研職員中村幸信博士の2名である。市村氏は、日常の検査業務の合間に研究に主体的に取り組み、研究実績と成果を蓄積し、現在では食肉科研の研究の中心的な担い手に成長している。食肉科研退職後も、この研究実施については引き続きサポートさせていただいている。

 最後に、私が大学院に進学した当時の北大学長であった物理学者堀内寿郎先生の講演でお聞きした「生物の発生原則である『個体発生は系統発生を繰り返す』は、研究者の成長についても言えることであり、研究者は常にこのことを念頭に置いて研究を進めてほしい」を紹介して本駄文を終えたい。若い読者がこの文の意味するところを理解してくれれば幸いである。

 

参考:「個体発生は系統発生を繰り返す」とは、ヘッケルの反復説と言われ、1866年の著書「一般形態学」に記載されたものである。ある動物の発生過程は、その動物の進化の過程を繰り返す形で行われる、というのがこの説の主張である。ここで個体発生とは、個々の動物の発生過程のことであり、系統発生とは、その動物の進化の過程を意味する表現である。(ウイキペデイアより)

 

(2018年8月記)